【事案の概要】
⑴被相続人Aは、昭和26年、X1と結婚した。
その後、長女(X2)、次女(Y)が生まれた。
⑵Aは、原稿用紙を用いて、平成14年10月10日付で文書を作成した。
(平成14年文書)
⑶Aは、郵便はがきを用いて、平成24年2月2日付で文書を作成した。
(平成24年文書)
なお、平成24年文書は、Yに宛てて送付されている。
⑷Aは、平成28年に死亡した。
相続人はX1、X2、Yの3名。
Aは、死亡時、下記不動産(「本件各不動産」)を所有していた。
① 土地
② 上記①の上に建っているマンション(「本件マンション」)
③ 土地(上にX1、X2及びX2の夫が共有・居住する自宅が建っている)
⑸本件は、X1及びX2が、Yに対し、
平成14年文書が自筆証書遺言として有効であること、及び
平成24年文書が自筆証書遺言として無効であること の確認を求めた事案。
【争点】
①平成14年文書
「右Aの所有する不動産の相続は、夫のX1にすべてまかせます。」
「長女X2と次女Yには遺留分として八分の壱1/8づつを遺します」
と記載された文書の、自筆証書遺言としての有効性
②平成24年文書
「AはマンションはYにやりたいと思っている。」
と記載された文書の、自筆証書遺言としての有効性
【裁判所の判断】
①について
「本件14年文書に記された『まかせます』という用語の字義は、委任の意味に限定されるものではないから、上記の表記から一義的に、Aが自身の遺産分割手続を被控訴人X1に行わせるとの意思を表示したと断定することはできない。かえって、証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば、Aは、かねてから、本件各不動産は被控訴人X1と共に築き上げた財産であるという認識を有しており、本件各不動産は被控訴人X1の自由にさせるという意思を表明していたことが認められる。また、平成14年文書には、『Aの所有する不動産の相続は、夫のX1にすべてまかせます。』という表記に続けて、『長女X2と次女Yには遺留分として八分の壱1/8づつ遺します』との記載がされているが、これは、A名義である本件各不動産を被控訴人X1に相続させた場合に、共同相続人である控訴人及び被控訴人X2の遺留分が侵害される事態が生じることを想定して記されたものと理解するのが文脈に最も整合的である。」
②について
「遺言も意思表示を要素とする法律行為であり、かつ、相手方のない単独行為である以上、これを有効と認めるためには、民法所定の要件を具備していることはもとより、財産処分等の法律行為を行う旨の遺言者の確定的、最終的な意思が遺言書上に表示されていることが必要と解すべきである。
これを本件について見ると、本件24年文書のうち「マンションはYにやりたいと思っている。」という部分は、本件マンションを控訴人に遺贈する意思を記載したと見る余地もあり、また、「こんな事が役立つようでは困るけど一応念のため」という部分も死後の財産処分について言及する趣旨と解し得ないでもない。
しかし、仮に上記のように解すると、Aは、本件各不動産を被控訴人X1に相続させるとの平成14年文書による自筆証書遺言を一部撤回する遺言をしたことになるが、自筆証書遺言を作成した経験を有し、かつ、…かねてより本件各不動産は被控訴人X1の自由にさせるという意思を表明していたAが、かかる意思を翻意する旨を控訴人に宛てた私信において表示するというのは、いささか奇異といわざるをえない。また、本件24年文書は、本件各不動産のうち本件マンションについて言及しているだけで、その余の不動産(土地)の処分に関しては触れるところが全くない。加えて、本件24年文書の「マンションはYにやりたいと思っている。」という部分についても、その表現ぶりのほか、控訴人に対する私信の中の記載であることに照らせば、本件マンションを控訴人に取得させたいという希望ないし意図の表明を超えるものではなく、少なくとも本件マンションを控訴人に遺贈するとの確定的、最終的な意思の表示であると断定するには合理的な疑いが残るところである。
以上を総合すれば、本件マンションを含め、自身の遺産の処分に関するAの確定的、最終的な意思が本件24年文書上に表示されていると認めることはできないから、同文書は、自筆証書遺言としては無効と解すべきである。」
【検討】
1 「まかせる」旨の自筆証書遺言(平成14年文書について)
最二小判昭和58年3月18日は「 遺言の解釈にあたつては、遺言書の文言を形式的に判断するだけでなく、遺言者の真意を探究すべきものであり、遺言書の特定の条項を解釈するにあたつても、単に遺言書の中から当該条項のみを他から切り離して抽出しその文言を形式的に解釈するだけでは十分ではなく、遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して遺言者の真意を探究し当該条項の趣旨を確定すべきものであると解するのが相当である」とする。
平成14年文書で問題となった表現は「右Aの所有する不動産の相続は、夫のX1にすべてまかせます。」というものであるところ、この「まかせる」という表現のみを切り取れば、相続させるの意味とも、別の意味とも考えられる。
そこで本件高判では、さらに、
①遺言者の事情・状況として、Aは、本件各不動産についてX1と共に築き上げた財産であるという認識を有しており、X1の自由にさせるという意思を表明していた。
②遺言書の全記載との関連について、上記「まかせる」文言に続いてX2・Yの遺留分について記載されている部分があるところ、X2・Yの遺留分が侵害される事態が生じることを想定して記された(=上記「まかせる」を相続させるの意として記した)とすると、文脈が整合的になる。
という事情を指摘して、上記「まかせる」を相続させるの意であると解釈した。
自筆証書遺言制度が、法律の専門家ではない一般人にも遺言を作成できるようにしている以上、上記昭和58年判決や本件の様に「遺言者の真意を探求し」、その意図するところを考えて解釈することは必要になると思われる。本件の上記解釈は、Aの本件各不動産に対する生前の認識や、遺留分に関する記載がなされた思考過程を考慮しており、妥当であると考えられる。
本件は、上記①②のような事情があったため、その意図するところを強く推察することができた。
しかしながら、自筆証書遺言が遺言者の心の内に従い秘密裡に行われることが多いものである以上、常に「遺言者の真意」を探り当てることはできないため、遺言を作成する際には適切な文言選びを心がけるべきである。
※なお、同じく「まかせる」という表現を使った事案として、東京高判昭和61年6月18日判タ621号141頁、大阪高判平成25年9月5日判時2204号39頁があるが、前者は「まかせる」を遺贈の趣旨ではないと解し、後者は「まかせる」を包括遺贈の趣旨と解しており、結論が分かれている。
前者は、遺言者が以前に自筆証書遺言を作成したことがあり、遺言に関する十分な知識を有していて、適切な体裁の遺言書を書くことができたのにも関わらず、ごく粗末なメモ書きのような体裁で作成していること、遺言者の晩年の世話をしていたのは別の相続人であること等を指摘しており、後者は、遺言者が晩年頼ることのできた唯一の相手に対して財産を「まかせる」とした点を特に指摘している。
2 平成24年文書について
「AはマンションはYにやりたいと思っている」との表現は、本件裁判例も指摘するように、本件マンションをYに遺贈する意思を記載していると見る余地もある。
そこで、本件高判はさらに、
①Yへの遺贈とすると、平成14年文書による遺言を一部撤回することになるが、上記1①のような意思を表明していたAが、かかる意思を翻意した旨を、平成14年文書のような体裁をとることもなく、Yに宛てた郵便はがきによる私信において表示しているとするのはいささか奇異であること
②平成14年文書には本件各不動産についての言及があるのに、平成24年文書では本件マンションのみの言及であること
③「マンションはYにやりたいと思っている」という表現ぶり及びYへの私信(通常Yのみが閲覧するもの)であること
を指摘して、本件マンションをYに取得させたいという希望ないし意図の表明に留まり、Yに遺贈するとの確定的・最終的な意思表示であると断定できないとした。
平成24年文書については、遺言者の確定的・最終的な意思表示がされていないため、そもそも平成14年文書のように遺言の解釈を行うまでもなく、自筆証書遺言としては無効であるとされており、そのため、上記昭和58年判決が直接妥当するものではないとしている。
しかしながら、本件高判は、遺言者の確定的・最終的な意思表示がされているかを考えるために、上記①~③のような事情を考慮しており、上記昭和58年判決と判断手法あるいは判断過程に明確な差異はないように思える。
いずれにせよ、その表現が確定的・最終的な意思表示なのか、それとも希望ないし意図の表明に留まるのかは、結局一種の解釈なのであるから、本件のように、その記載内容・記載方法を中心に、様々な周辺事情から総合判断する判断手法については、妥当なものであると思われる。