令和3年1月  弁護士 木村 綾菜

【事案の概要】
⑴ 本件建物はA及びBの共有であったところ、平成元年12月8日、A及びBを賃貸人、X社を賃借人として、建物賃貸借契約が締結された。
XはAに対し、XのAに対する貸付金の一部を振り替える形の処理をして、敷金として3000万円を差し入れた。
⑵ 平成26年5月11日、Aは死亡した。
 Aの相続人は、Y・B・Cら計6名であり、Yの法定相続分は28分の7であった(Aは韓国籍だったため、同国民法の定めによる。)。
⑶ 本件建物のAの持分についてはBが相続した(B持分100%)。
その後、BはCに対して、本件建物の持分2分の1を譲渡した。
⑷ 平成29年4月30日、B・C・Xは、上記建物賃貸借契約を合意解約した。
⑸ 本件は、XがYに対し、Aの死亡に伴いAの相続人らは法定相続分に応じて法律上当然に分割された敷金返還債務を承継したと主張して、敷金返還請求権に基づき、その法定相続分に応じた750万円及び遅延損害金を求めた事案である。
(なお、本発表では、Xの上記主張に関わる部分のみ扱う。)

【争点】
Aの相続人らは、法定相続分に応じて法律上当然に分割された敷金返還債務を承継したか

【裁判所の判断】
敷金は,賃貸人が賃貸借契約に基づき賃借人に対して取得する債権を担保するものであるから,敷金に関する法律関係は賃貸借契約と密接に関係し,賃貸借契約に随伴すべきものと解されることに加え,賃借人が旧賃貸人から敷金の返還を受けた上で新賃貸人に改めて敷金を差し入れる労と,旧賃貸人の無資力の危険から賃借人を保護すべき必要性とに鑑みれば,賃貸人たる地位に承継があった場合には,敷金に関する法律関係は新賃貸人に当然に承継されるものと解すべきである。そして,上記のような敷金の担保としての性質や賃借人保護の必要性は,賃貸人たる地位の承継が,賃貸物件の売買等による特定承継の場合と,相続による包括承継の場合とで何ら変わるものではないから,賃貸借契約と敷金に関する法律関係に係る上記の法理は,包括承継の場合にも当然に妥当するものというべきである。
 控訴人は,相続の際に敷金返還債務も他の金銭債務と同様に当然分割とすることで,無資力者に債務全額が承継されるなどの危険から賃借人は保護される旨主張するが,賃借人にとって賃貸人の相続人を探索することの労は看過できない上,新たな賃貸人には敷金返還債務の引当てとなる賃貸物件があるのに対し,賃貸人以外の相続人の資力は賃借人にとって不明であり,賃貸人以外の相続人の無資力の危険を賃借人に負わせることになる点でも,控訴人の上記主張は採用できない。」

【検討】
金銭債務は、相続が開始されると、当然に各相続人に法定相続分で承継され、遺産分割の対象とはならない(最二小判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁)。
 原告は、上記判例を踏まえ、敷金返還債務も金銭債務であるから、各相続人が法律上当然に分割承継しているとして、本件請求を立てていると考えられる。

 一方、敷金に関する権利義務関係が新賃貸人に承継されるかについては、従来、賃貸不動産の売買・譲渡等によって、新賃貸人に特定承継される場合に問題となってきた。
例えば、最一小判昭和44年7月17日民集23巻8号1610頁は、「建物賃貸借契約において該建物の所有権移転に伴い賃貸人たる地位に承継があつた場合には、旧賃貸人に差し入れられた敷金は、…その権利義務関係が新賃貸人に承継される」としており、新賃貸人に対する承継を肯定している。

本件高裁は、相続による包括承継の場合であっても、上記最判昭和44年判決などの特定承継の場合と同様に考えるべきであるとした。
 すなわち、
・敷金は賃貸借契約関係における担保であり、賃貸借契約と密接に関係し、賃貸借契約に随伴すべきものである
・賃貸人が交代した場合に改めて敷金を差し入れる労と、旧賃貸人の無資力の危険から賃借人を保護すべき必要性から、敷金に関する法律関係も新賃貸人に承継させるべきである
・上記のような性質・必要性は、賃貸人の地位の承継が、売買等の特定承継の場合と、相続による包括承継の場合とで変わらない
旨述べて、本件では、本件建物のAの持分について相続し単独所有者となったBが、賃貸人として敷金返還債務を負うべきであるとした。

 敷金は、賃貸借契約「ありき」の付随的な制度であるため、敷金に関する権利義務関係が、それ単独で独り歩きして賃貸借契約の当事者ではない者に受け継がれていくという原告の考え方は、いささか形式的過ぎるものと思われる。
 本件高裁判決は、上記の通りの理由付けを行って、この感覚に沿った結論を導いており、実務上も参考になると思われるため紹介する。
以上