【事案の概要】
① 被害者Ⅴ(当時7歳)は、平成26年11月、難治性疾患である1型糖尿病と診断された。1型糖尿病の患者は、インスリンを摂取しなければ死に至る。
② 退院後、両親はⅤにインスリンを投与していたが、母親Aは、Ⅴの病気に強い精神的衝撃を受け、何とか完治させたいと考え、非科学的な力による難病治療を標榜していたⅩに治療を依頼した。
③ Ⅹはインスリンを投与しなければⅤが死亡することを認識していたが、Ⅴを完治させられる旨断言し、Ⅴの治療を引き受けた。Ⅹの治療は、Ⅴを透視し、遠隔操作をするなどというものであったが、AはⅩを全面的に信頼し、Ⅹの指示通りの治療がⅤに対して行われた。
④ Ⅹは、平成27年2月、Aに対し、インスリンは毒であるなどとしてⅤに投与しないよう指示し、インスリンの投薬が中止された。その後、Ⅴの病状が悪化し、医師の指示によりインスリン投与が再開された。
⑤ Ⅹは、インスリンの投与を止めるようAを説得し、Ⅴを救うためにはⅩの指示に従うしかないと信じたAはVの父親Bを説得し、以後、Ⅴへのインスリンの投与が一切中止された。
⑥ Ⅴの病状が悪化したものの、Ⅹはインスリン不投与の指示を継続し、インスリンが投与されないまま、Ⅴは1型糖尿病に基づく衰弱により死亡した。
【争点】
Xにどのような犯罪が成立するか。
【判示】
Xは、生命維持のためにインスリンの投与が必要な1型糖尿病にり患している幼年のVの治療をその両親から依頼され、インスリンを投与しなければVが死亡する現実的な危険性があることを認識しながら、医学的根拠もないのに、自身を信頼して指示に従っているAに対し、インスリンは毒であり、Xの指導に従わなければVは助からないなどとして、Vにインスリンを投与しないよう脅しめいた文言を交えた執ようかつ強度の働きかけを行い、Bに対しても、Aを介してVへのインスリンの不投与を指示し、両親をして、Vへのインスリンの投与をさせず、その結果、Vが死亡するに至ったものである。
Aは、Vが難治性の1型糖尿病にり患したことに強い精神的衝撃を受けていたところ、Xによる働きかけを受け、Vを何とか完治させたいとの必死な思いと相まって、Vの生命を救い、1型糖尿病を完治させるためには、インスリンの不投与等のXの指導に従う以外にないと一途に考えるなどして、本件当時、Vへのインスリンの投与という期待された作為に出ることができない精神状態に陥っていたものであり、Xもこれを認識していたものと認められる。
また、Xは、Xの治療法に半信半疑の状態ながらこれに従っていたBとの間で、Aを介し、Vへのインスリンの不投与について相互に意思を通じていたものと認められる。
以上のような本件の事実関係に照らすと、Xは、未必的な殺意をもって、Aを道具として利用するとともに、不保護の故意のあるBと共謀の上、Vの生命維持に必要なインスリンを投与せず、Vを死亡させたものと認められ、Xには殺人罪が成立する。
【検討】
1 Xにつき、Aとの関係で殺人罪の間接正犯、Bとの関係で殺人罪の共同正犯が成立するとされたことについて
インスリン不投与の指示という1個の事実につき、Aとの関係で間接正犯、Bとの関係で共同正犯を認めた点はこれまでにもあまりなく、このような判断がなされたことには今後の参考となる意義がある。
部分的犯罪共同説によれば、XとBについて、それぞれ成立する犯罪が重なり合う限度で共同正犯の成立が肯定されるから、保護責任者遺棄致死罪の共同正犯が成立することになるが、この点について本決定の理解は明確ではなく、今後の判例の動向が注目される。
2 シャクティ事件(最決平成17・7・4刑集59巻6号403頁)と殺人罪の実行行為の構成が異なることについて
シャクティ事件では、行為者には不作為の殺人罪が成立すると判断された。シャクティパットという行為そのものは人の死亡の危険性を発生させる危険性は低く、病院から被害者を運び出させた行為も運び出させた先での治療の可能性などがあることからすると、被害者の死亡を発生させる危険性は低い。そのため、実行行為を作為として構成することは難しいと考えられる。
他方、1型糖尿病をり患している本件の被害者との関係では、インスリンの投与はそれをしなければ被害者が死亡する可能性が極めて高いものであり、インスリン不投与の指示は被害者の生命を侵害する大きな危険を有しており、この作為が殺人罪の実行行為にあたることは比較的容易に認められる。そのため、実行行為を作為と構成したものと考えられる。